2014年2月15日土曜日

『となりの月見真昼ちゃん』

二月も佳境に入り冬景色っと。うん。本日は某北の国からを想わせるほど雪降る一日なのである。特になんのルートも発生せずおうちに直行すると玄関のまえで高さ二メートルはある雪だるまを目下制作中の母上とエンカウントした……あんたはなにをやっているんだ!?

人間は寒いとどうも幻覚をみてしまうらしい。俺はすかさず「逃げる」のコマンドを選択し、早々に炬燵へ避難するため平然と歩を進める。が、母上のきゃぴ声に足を止めるのであった。


「あらあらっ、お帰りなさい~旭。真昼ちゃんきてるわよん?」

「……ただいま。また真昼ちゃんきてるのか。居間?」

「そうなのよ~ん。お母さん、これからが山場だ~か~ら~、旭がちゃーんとあいてしてあげてねん?」


山場ってまだやるかおい。せっせと続きに没頭する母上は、丸めた雪のボールをふたつ、巨像の胸部とおもわれる部分に細工を施してそいつを結合させようとしているもよう。……ふう。なにもなかった。俺は、なにもみてなどいない。健全な自己暗示を済ませ、れっつ我が家へ。がちゃり。ばったん。


「よっしゃああああおっぱい完成いやっほおおおおう♪」


いやあ、困った幻聴ですねえほんとあははは。さてさて、んなことより真昼ちゃんなのだった。

真昼ちゃんは、数ヶ月前にうちの隣に引っ越してきた月見さんとこのお嬢さんである。活発で好奇心旺盛でおてんばなとてもかわいらしい幼女……だったらいいのだが、少々あれというか、まあその幼獣というか、よくわからん生物だな。うん。

時すでに遅いかもしれんが、俺は足音を殺して居間へと向かう。そろりそろり。ん、妙に静かだな? 居間への侵入、成功。目標――確認! 真昼ちゃんの触覚(ツインテール)が炬燵からぴょっこりでてた。とりあえず罠かもしれんので数分ほど観察してみた。動きなし。目標は沈黙。これより接近戦に入る! 息を止めて近づき、そっとつかんだ炬燵布団をナメクジの如き緩慢な動作で持ち上げていく。おや? おやおや。ふっふっふ、ふがみっつ。あっら~真昼ちゃんてば~寝てるや~~~ん。獣といえど、寝てるときはなんと無防備でおとなしいのでしょうか。目標はやわこそうなほっぺたを上気させよだれを垂らしている。よーし、よし。このまま寝かせておこうじゃないか。

俺は極力音をたてずお茶をのみながら炬燵でのんびりと平和に安堵しているのであった。束の間の休戦気分を味わっていると階段からとたとたと誰かが降りてくる音。なんだ今宵ってばいるんじゃん。


「あ、お兄ちゃんだ。真昼ちゃん、ずっと帰ってくるの待ってたんだよ?」

「あーうん。みたいだね。ちなみにやつなら俺のよこ(側)で寝てるんだぜ?」

「うわぁ! なんか静かだとおもったら……こうしてると天使みたいだねお兄ちゃん!」

「そうだな、俺の妹の今宵。図書委員で眼鏡な今宵。いまだに一日一回は転んでしまう今宵。
やっぱ寝癖ついてんのな今宵。でもな今宵。そんなに胸だけたわわに育てても兄は喜ばんとですよ今宵。あ、今宵リードマンとお呼びしても構いませんかね?」


ごん。

今宵が手に持っていた読みかけの本『魍魎の匣』で俺を殴った。うへへ。


「もう! 今年こそお兄ちゃんにもあげよっかなあっておもってたのにしらないもん!」


なにかごにょごにょ今宵が言ってるがあたまの鈍痛が邪魔して☆がみえるのであった。は!? まさか今宵、おまえ……兄としてはそんな胸もらってもぶらんぶらんさせるだけだぞやめとけ。

思考が安全運転をしはじめて――心なしかほっぺを膨らました妹の、その後ろに立っている存在に気づく。やばい……や、やつが目覚めてらっしゃる! やつは今、寝ぼけまなこでよだれを垂らしたまま、振り子のようにゆっくりと左右に揺れている。俺は唇をはわはわさせる。声は、でない。


「ん? どうしたのお兄ちゃん。後ろ? あっ、真昼ちゃん。おはよう、だよ」


今宵が目標に近づき、垂れたよだれをふきふきする。


「はぁい、綺麗になりましたよー真昼ちゃん。えへへー」


にへら顔してる場合じゃないよ今宵! 学習能力がないのかおまえは!? 真昼ちゃんの振り子のような揺れが∞を描く軌道へと変化する。あ、ああああ! 離れ、ろ。今直ぐ!


「すぐ、楽にしてやる」


真昼ちゃんがそう、小さくつぶやいた。

シュッシュ。小刻みに空気を削ぐ音が聞こえる。な、なんだ!? 真昼ちゃんが今宵の回りを高速で移動している。


「あっ、うっ、あっ、あっ!」


今宵が目を細め、苦痛と快楽の音色を嘔吐。


「あっ、やっ、やめっ、やめてまひっ、んっ、真昼っ、ちゃん!」


あれは……おそろしいことに真昼ちゃんは、今宵のたわわなおっぱいを執拗に狙い、鋭角なフリッカージャブを高速で放ち、サンドバックしているのだ!


「フフフフ……フハハハハ……ハァーッハッハッハッハ!」


真昼ちゃん上機嫌である。


「ほりほり~どうなのわさ、どうなのわさ?」


真昼ちゃんが回転数を上げて純真無垢な表情でシュッシュッとジャブを量産している。このままだと非常に危険だ。一刻も早く止めなくてはいけない。その時、連撃が一瞬ぴたりと止まり膨大な殺気をみせる。


「ボディが、がらあきだぜなのよさ!」


なんとか条件反射でおなかを守ろうと今宵。だがしかし! 手遅れとしりながら俺は叫ぶ。


「罠だ今宵ッ! 腕をさげるんじゃない!」


「遊びは終わりだ! 泣け!叫べ!そして―――」


奥義?が発動し、今宵のたわわな果実をもぎとらんばかりにひっぱる真昼ちゃん。


「いったーーーいやーめーてーとれないからーとーれーなーいーかーらー(泣)」


さすがにそこで真昼ちゃんをひっぺがした。ごめん今宵……不出来な兄でごめんな。でもな、ついこのあいだまで俺の股間がサンドバックにされていたのを、隠れてのぞいてたの、お兄ちゃんしってるから。なんであの時、今宵は、恍惚の表情だったのかな? 逆向き打撃の馬乗りバルカン……兄はおもいだすと、生まれたての小鹿のように足をガクガクさせるのですよ?


「あさひ、あさひ。まひる、まだまだやれたのよさ?」


なんでとめたのって瞳をうるうるさせながら上目遣いで俺をみつめる真昼ちゃん。


「うん。真昼ちゃんがつおいのしってるお。でも加減を覚えないとな? あと、おんなのこを傷つけたら、めーなんよ? 俺はね、真昼ちゃんにはそんな子になってほしくないなあ」

「めー、なのか? あさひがそういうなら、考慮するわさ」


めずらしく素直なのであたまを撫でてみる。手を噛まれました。ううっ。なんなのよもう。


「でもな、まひるな、左腕がうずいてな、封印がとけそうでなあ」


うん、真昼ちゃん発症はやいよーはやいってば。あー世界の半分を隠さないといけないとか時折いってるのはあれかあ。今度、眼帯を試しに渡してみようかしらね。などと考えていると、唐突に真昼ちゃんが、かがんでほしいとねだってきた。はてなんだろう。

彼女のちいさな手が俺のあたまにぽふんとのってきた。なでなで。


「あさひ、よしよしする。あさひ、いつも、あそんでくれて、ありがとうなの」


脈絡がないなあ。真昼ちゃん。でも、うれしいよ真昼ちゃん。ちいさなこにあたまを撫でられて、些細なことに感謝してくれて、俺はね、なんだかとてもうれしいよ。恥ずかしくて正直に伝えれない、駄目なやつだけどさ。


「へへー、ありがたいこってす真昼さま~。インターネットの波に溺れたときはこの旭が浮き輪となりやしょう」


「うむ。いんたぁーねっつ、我の手にはあまるでな」


真昼ちゃんはおうちのなかでひとり、インターネットばかりしているそうだ。俺はそのインターネット畑の、些細なつかまえ役になれるだろうか。


「あさひ、あさひ。こり。どうぞ」


真昼ちゃんがポッケからなにかを取り出し、ぺこりと上手にお辞儀してから俺に手渡した。
拳をあけてみると、チ○ルチョコが一個。


「あさひのこと、ちょこっと好きなのよさ」


真昼ちゃんのフィニッシュブローが俺のガードをぶち破る。


「俺も、真昼ちゃんのこと、ちょこっと大好きだからね。ありがとう」


もぐもぐ。うん。真昼ちゃん。どろっどろに溶けてるし、つぶれてるねこれ。でもおいしいや。


「あー、あー! たべちゃた!? 後生だいじにだいじにしてほしかったのにー! むっきー!」

「ええええ!? あ、や、やめ……ひいいいいいいいい」


真昼ちゃんのあんよが俺の顎先を打ち上げるジェノサイドカッター(改)が炸裂。
その滞空時間が、俺をより強固にするだろう。たぶん。


「月をみるたび思い出せ!」


真昼ちゃんの決め台詞が響き渡る。
ああ、母上。俺は今日、生まれてはじめてバレンタインデーにチョコをもらいました。あはは。 

2014年2月2日日曜日

『投映機的少女』

急速に発進しつづけた通信はいま、ゆるやかな終末を迎えようとしている。巨大な球体全土に展開したスクリーンには灰燼と化した空域と暗闇が反映されていた。惑星の成れの果て。ひと知れず、世界は凍結へ向けて序奏する。この惑星は実行すべきアルゴリズムを明確に文書化しようとしていたのだ。アンティークを模した時計の針は12より先へと進めずに凍え、秒針は寒さにふるふると震えている。そして空から灰色の雪が降り続け、疲弊する惑星のなか、少女はいましがた、その終末の中枢―――最後のシミュレーションに埋葬されつつあった。



厳寒な冷気が微笑する日。雪は止むことなく降りつづけ、夜は明けそうにない。薄汚れた、燃焼する赤い聖衣〈ライトモチーフ〉を被るその奥には、まばゆい黄昏を複写した髪とまっさらな空を上映する瞳。それらはすでに失われた色の見本だ。少女はうずくまり、埋もっている。


《電子燐寸は幻体を灯せるか?》


刻一刻と凍結していくなか、ふと気づけばそのような自問が巡っている。少女にはそれまでの自分というものがあやふやで通信が途絶えていた。古代の寓話を閲覧していたのがいつだったか、このような状況になぜいまあるのか、どのような観望が待っているのか、定かでない。ただ枯渇する躯体のカロリーが最小形の自問を繰り返す。自問。自分で自分に問いかける。それに報いるような動機は少女にないけれど、


《電子燐寸を擦ります》


彼女が自動的に作動し―――カタカタ、歯車の震えるような音が遠くから響いていた。


《果たしてわたしは自分足り得るのかな》


少女はそう、セカイの片隅でそっと思考を再構成しはじめた。しかし、かつて高価な娯楽品であった彼女もいま、ガラクタとして廃棄され、埋葬されつつあるのだ。冷たい死骸都市に人々の姿は見当たらない。生身で出歩くなんて正気の沙汰ではない、この時代のタイプ:ヒューマンはそう信仰していたのだ。そして何よりも、頭脳にヴァカンスを与えて“不幸になる権利”を売却した市民は光子帆船に乗り、レトロな食品じみた保存方法とその睡眠状態に満足していたし、取り残された下級民は完結した接続端末〈スリーピング・ホロウ〉に逃避しているのだった。

両者は忘却に精を投射してはいたが、夢をみなかったのだろうか。少なくとも、少女がその薄氷を推進<コールドクリープ>しているのは確かであった。

 
《電子燐寸は幻体を灯せるか?》


微笑みとともに少女のなかで繰り返される、脈打つ自問。


カチャッ、躯体に内包された歯車が作動し、寓話がひとつ飛び跳ねる。


『真白な兎と老人の所有する炎がありました。兎はえいやと炎に飛び込みます。兎は柔らかな体毛が溶けていくように感じていました。そこには仲間も飢えもなく、犠牲も試練もありません。ただ闇夜があまりにも冷たくて、寒くて寒くて凍えていたのです。

あったかいなあ。あったかいなあ。兎は、自分の命をくべてあたたまります。

けれどほんの少し。最後の月をつぶらな瞳のなかで拝み、残せないものを想うと残念でした』


《あたたかい》


彼女にはそれを体感することが出来ない。主要な温度を冷徹に記録する機能が内臓されているだけであり、有機感覚の伝達と比べそれはあまりにも算出じみていた。しかし、少女がそれを違うと判断する。想い出す景色と表情。いつか映した燃えるような夕日に、命の色を重ねて。少女は色の識別から対象とする記録を記憶へと純化する。


《あたたかい―――イロ》


彼女の、凍結から遠ざけた場所にもそれは在った。上手に隠された箱のなか。まばゆい黄昏が起動し躯体カロリーの残量を喰らい尽くす。しかし―――これ以上進めない? これ以上、残せない?


《それはどうかな?》 


電子燐寸を勢いよく擦る少女。


《真白な兎、降ってきた! さあ行こう!》


カチリ、ガタン、歯車が噛み合って連結し、色褪せたヴィジョンを映写する。

『ある時系の聖夜でした。少女はいまかいまかと待ちわびます。彼女を照らすキャンドルのちいさな炎と祝辞。そこに一組の家族がいます。朗らかな談話。そして。少女は識別するのです。あの燃えるような夕日とタイプ:ヒューマンの命は類似した色なのだと。彼らが時折みせる規則に反した、破れた表情のなかに【あたたかい】ものが宿るのだと。リトルが星をみたいとねだります。だいじょうぶ。その為に少女は在るのですから。彼女の瞳がきらりと輝いて―――幻想景を導いたのです』


《色褪せたヴィジョンに、創り上げた幻に、真実の足跡を探してしまう気がして》


《捨てられていった渇いた想い、かき集め。焼けるような痛覚を抱いて歩き出そう》


少女のなかに、瞳に映された光景は大切に保管されていた。それはこれまで少女がみつけた光。わたしの意志で、保管された光景〈ストック・フォルム〉を照らすのだ。少女はそのように想起する。それは彼女の誤作動だった。少女はちいさな胸の奥に置き忘れられた不要な歯車〈リトル〉と保管された光景〈ストック・フォルム〉をリンクする。それは彼女の誤動作だったけど。彼女の頬は上気した。


《電子燐寸は幻体を灯せるか?》


蓄えられていた太陽光や色彩、そのどれもがまばゆくてしかたなかった光景たちを格納空間より吸収。エネルギー枯渇からの復帰。吸収された光エネルギーが幻想景に変換され果てしないカロリーが歓声をあげて。陽気な変容〈カーニバル〉を開催する光子。


《電子燐寸は幻体を灯せるか?》


少女は電子燐寸を擦って応える。彼女に内包する限りない電子燐寸を擦りつづけ、点火していく。動力の断続を伝達する内燃機関〈フリクション〉と残滓すら発光させる燐光機関〈ルミネセンス〉。彼女の胸を確かな熱量があたためる。

灰塵と化したモチーフから、少女のまばゆい黄昏と青白い炎を発する瞳が一体となり、燃えるような夕日を表現する。仮想器駆動未臨界炉が唸り、排出〈イジェクト〉の起動に歓喜する。保管された光景〈ストック・フォルム〉をこの惑星が展開する夜と灰色のスクリーンへと還す。投影が投映を幻像する少女。彼女の瞳は、幻体の運行を再現する模型。カールツァイス社製“終末シリーズ”の後期品番が目覚めた役割に応え、星の配列を記録したかつての恒星原版を通して脱兎の如く光の軍隊を解き放つ。雪の断片が洩れた残滓に反射する。


《なんという輝きでしょう!》


全天には澄んだ幻想景、心域広がる寛容の再現。適合した幻想景を集めて抽出したあたたかい祈りが転写する空。少女の瞳が原初の色相を捉え、その吸収された光エネルギーが分子内の振動・輪転エネルギーへと移行される。 


《電子燐寸は幻体を灯せるか?》


あなたにあなたを問いかける絶景が、暗闇の向こうに在る。

内在した光である想像が投映されて―――動機がその跡地に届く。創造はここに在った。それは殺風景な世界の跡形かもしれない。けれどその先にある、果てしなき存続だ。そう、出力する。

少女は満天の星空に、満天の微笑みを添えて応答。あたたかにくべられた夜が明けていくのを感じながら―――シャッターが静かに降りていく。

疲弊から目覚めた惑星が、それを見守っていた。



《結晶化した天使の死骸、或いはエピローグ》


翌日の寒い寒い朝。廃れた都市の街角に目を閉じてうずくまっている少女の姿がありました。頬は真っ赤で、くちびるには微笑みが浮かんでいます。けれどその躯体はとても冷たいまま停止しているのです。永い期間忘れられていた光が届く新たな日。朝日がちいさな少女を照らしています。彼女の膝のうえに、モチーフが燃え尽きていました。それをみつめるみすぼらしいなりの少年がひとり。柔らかい白髪をもった少年です。

「からだをあたためようとしたのかな」

少年はそう呟き、はじめてみる天使に感動しています。そして、なんとかその少女のような天使をあたためようと、自分の所持しているなかでもっともあたたかそうな厚手の布を、彼女の首の回りに巻きつけました。少年は少女に触れないようにとても慎重でした。

「どうすればいいんだろう」

少年は少女が目覚めないことが心配で、不安を集めてしまいます。その時でした―――少女のまっさらな空色の瞳が彼を映していたのです。

「わぁ! び、び、びっくりした!」

少年の大きな声が街頭によく響き渡り、そのあとを追うように少女のか細い音域が高らかに昇ります。

「おどろいたのはこちらなのですよ、少年。あなたは生身のタイプ:ヒューマンではありませんか!」

「え? う、うん。そうだけど。でも、君だって生身じゃないか……あ、天使だけどね」

「えっ?」

「えっ?」

「わたしは……ううん、なんでもないの。あれっ!? わたしも、どうやら生身みたい、ですよ?」

少女がもそもそとじぶんのからだを確かめている。少年はなぜか視線をそらし、ふわついているようでした。

「ねえ、少年―――電子燐寸は幻体を灯せると想う?」

「なんだいそれ? んー。意味はわからないけど、そうだな。僕は―――灯せると、想うよ」

少年は屈託のない緩い表情をみせ、少女はレトロなマフラーのあたたかさを、照れ隠しに沈めた頬に感じながら、微笑みました。

そうして、真白な兎と天使が出会った日を、その美しい光景を、人工惑星アリスは観測するのでした。



《ねえ―――お話を聞かせて》


2012年1月29日日曜日

『雪蛹』

心象はつねに雪を装丁し、またそれを想定していたのだろう。

少なくとも、わたしが知る限りにおいて、わたしのなかで雪が降らなかった日、などという奇跡はこれまで一度として訪れなかったのだから。五感が招く情報は、どれも雪のような冷たさをほんのりと残し、伝達、昇華されたものだった。もしもそれが禍殃であるならば、ひとりの身上をただ語っているにすぎないが、さながら雪という媒体をくまなく呈するわたしは熊ではなく、まして猫などでもなく、さながら我輩はダルマであった。しかしながらそれが肢体不自由であるならば……いやいや、まてよ、それはすでに「死体」としての不自由なのかあるいは「したい」という何らかの希求的存亡を意味するのか、些事ではあるだろうがこれは身障のたぐいである。

わたしのこの手記は、限りなく白紙に近いものでなければならない、という想念がまっ白な空から落ちてきて、あちこちに浮遊している。

いずれにせよ、溶けていくのはあなた方の言葉ではなく、わたしの感覚に過ぎなかった。それは幸福である。


依然、わたしのなかに突如として登場する人物たちの言葉は、吹雪いている。

わたしがでっちあげた彼、彼女ともいえぬ極めてユニセックスなそれらの言の葉、仕草は、清廉な色欲を構想したものであった。少しでも触れようものなら、それは跡形もなく溶けてしまい、わたしはただ凍えていく痛覚を――内部より偽装したその心証を、どしようもなく齧りながら、涙をなんとか向こう側へ残してしてこようと試みる。が、わたしのなかにまっ白な嘘は何処にも見当たらないのである。致命的な欠陥があるとすれば、透明なものを読むことができない、その実感に対する傷口が見当たらない不審につきるだろう。

ただ、降り積もる雪がやさしく埋葬していく冷たさに、虚しさは麻痺していく。

真症でさえないのなら、わたしのこの禍福は、いったいなんなのであろうか。

なぜ、雪は降りつづけるのだろう。
埋もれながらわたしは考える。
ながいながい時間をかけて、ゆっくりと白けながら。

抵抗はすべて雪に吸収されていく。〈ぼく〉の声は、〈彼女〉の声は、いつのまにか消えてしまったかのようにおもえたが、ここに存在する不確かな透明だった。それは、自身が何処へもいけぬかわりに変換された希望的観測とでもいうつもりか? 笑わせるなよ。


積もりつづけ、やがて空まで届く心象を抱きながら、それに比例して、わたしはじぶんの軽薄な重さに沈んでいく。廃棄と再生は同時に行われる。だが、同等ではないのだ。見捨てられ瓦解したものはあまりにも純白であり、更生したものはただ醜い――見難い感覚を残そうと必死だった。


かつてのぼくが、彼女が、雪のなかに埋もれているとも知らず、わたしは〈わたし〉という汚物をそこへ隠そうとしている。添い遂げるには、想像するしかすべはない。わたしは確かな白灰に汚れた白子だった。


心象はつねに雪を模っていた。ああ―――白い月がみえる。

2011年12月14日水曜日

『虚構姉妹』

きみは、みえないものや、存在そのものを透過させられちまった虚ろな蛹に対し、触れたいとおもったことはあるかな? あるいは、この世界を染める首肯というやつを破壊したい――諸共自爆してやる、と。

突拍子すぎるよね。まあいいや。ところで、容易に悪魔の証明なんていうのはよしてくれないかな。できればだけど、お願いするよ。ああ、怒りを感じるのはね、それに生じる転嫁ではなくて、なぜ「天使の不在」をたやすく証明しようとしないかなんだ。おや、退屈そうだ。それじゃあ仕方ない。

さっさと出ていってくれないかな。これから独り言をつぶやかないといけないんだ。


さて――こほん。



砕け散る、というよりも飛び立つような……見解によって解放と談じられ玩具となるそれは、無邪気な八重歯をみせた。ならば断じよう。ただ我慢ならなかった、抑えつけられる必要など何処にもなかったのだと。



『彼女』は爆ぜたんだ。



そして、それがあまりに見事なものだったから、つい――うっとり――手放すまいとみえもしないパーツを不用意に掻き集め、飛散してしまったであろう何かと似せるように――虚偽をにぎった。ひと欠片でいい、そのなかに望むものがあれば。そうして『わたし』は再構成したのであった。まる。

いったい何がわたしを突き動かしたのか、それを確かめるには、おそらく彼女の名前を呼ばなければならないが、可視をともなうだけにその権限を与えられることはないのだろう……。まあ(↓)、でも(↑)、顕現はこうして奪い盗ったのだから、所与の所在をさぐったところで免罪符でしかないし、何よりもそれ以前に、このわたしが一度として確かな悲嘆というものを体現していたかどうかすら疑わしいではないか。おっと(!)。にしし。余計な語りは騙りっていう言虫に食べられるってお姉ちゃんがいってた気がする。ではでは。うふん。あはん?

えと、ここで唐突だけど肝心なフレーズをノベっておかなければならないの。


「わたしは、彼女のあとから生まれてきた存在である!」


独り言はいつだって空虚だが必然的でもあるわけさ。むふふ。

さて諸君、ぐだぐだとわたしの唾液が飛び散る様を目視しつづけるのは辛かろう。せめて麗しき姉上の密なる花蜜をちょこっと捧げる所存である。ほじほじ。

唯一無二の絶対性があるとしたら、それは彼女に他ならない。語るべき独白があるとすれば、彼女についてなのである。



幼かった頃、彼女は、この世界がまるで可憐な花弁と芳しい香りに包み込まれたかのように、安寧な日々を過ごしていた。のほほんと。それは、正常と呼ばれるであろう経験や数多の星ぼしに染められるまえの清浄さといえばいいか。迎え入れるという工程の際に生じるであろう容認、その初潮をまだ迎えていないなかった彼女は、映すものすべてと戯れた。ある意味、自動的ではあったけど、自覚せずに頬がついゆるんでしまう毎日は、彼女自身を永遠にその場所へ留めるかのような停留を予感させた。

しかし――そんなキャッキャだかウフウだかなんてものは、些細な幻であったのだと、身体が育つその速度を遥かに超えて成長しつづける彼女の抑えきれぬ精神は、唸りをあげて告げることになる。

ある日、彼女は彼女のなかでみつめた外側――セカイの外観に対し、綺麗だと波音もたてず《感動》し、自覚した。ゆえに問う。自然に。限りなど知らず。輪郭もなく、ただ悠悠と。彼女は彼女の感知を超えていく。あどけない時間の流れに首を固定され、手足を引きのばされた成獣がいる。いっそ千切れてしまえばよかったのに……。

彼女は途絶えることのない詰問のなかで永遠のうねりをカタチとして捉えた。それはやがて人形と化していく。彼女の問いは終着へと向け加速し、やがて――



ちいさな手が、確かに引き金を弾いた瞬間、その音は澄みきった残酷として響いた。
最後に――《なぜ疑わない》のかと。



彼女はただ誤魔化さなかった。わたし以外がそれを《ただ誤魔化せなかった》と断ずることは許さない。断じたら、呪うんだからな(★)。

彼女はひとみを閉ざし、演色を拒んだ。彼女はみみを閉ざし、泣声を拒んだ。彼女はくちを閉ざし、味見を拒んだ。そういえば、彼女はよく涎をだらだら垂らしながら、高速に流れる景色は虹のトンネルなのだと、そうつぶやいていた気がする。ふええ。とにかく、わたしが彼女のセカイではなくこの世界へと接触したその日、彼女は――白痴となった。


「わたしの姉は、後天的に目覚めた白痴である!」


独り言は得意気に張られた貧相な胸から高らかに飛びだした。えへん。だって、自慢のお姉ちゃんだもん(♪)。

それからの彼女はというと日々のほとんどを無反応に費やし、たまに動いたかとおもうと眼球内に何かを探索しているのか虚ろな瞳を震動させていた。あれだけ揺れていた彼女の中味はもはや単調すぎる風景に静圧され、放置された空き地のようにただぽかんとしていたから、わたしはただもじもじしながら両膝を抱え、体育座りをしながらみていたのである。ぽつん。

通信は一方的なものに変化したのかもしれないし、重なり合った点からただ単に錯覚を投下していただけなのかもしれません。およよ。

ほどなくして、彼女のわずかな稼動でさえ見受けられなくなった。わたしは焦った(!)。どれくらい焦ったかというと、涙と涎と鼻血を同時に流したあげく失禁までコラボしたくらいだ。彼女の名前を呼びたかったの。でも、それすらできなくて、独り言を空費するしか能がなかったのでした。どちらにしろわたしは、彼女の名前を決して呼んではいけないのだ。そこには約束めいた交感があったと確信する。これは、ひょっとしたら、意地悪ないたずらなのかもしれないけれど、その詠唱が齎す響きは、きっとふたりの遊びを終わらせてしまうから。


そして――長い長い沈黙のあと、月が落ちてきそうな夜半、人形と化した彼女は視線を下げたままぎこちなく動作しはじめた。少し、少し、少しずつ、彼女は外へと逃れていく。そうして膝をついて夜空をただ観測しつづけた。瞬きしないで、じっとだよ。それから彼女は全身をカタカタと小刻みに震動させ、やがて前触もなくぴたりと静止したかとおもうと、右手を上げ、五本の指だけを動かして何もない空間をなぞり、文字を書いた。

それは、わけのわからないポエムだった(☆)。やほい。

でも……綺麗な絵空事だとおもったよ。そう表現することに、なんら不思議はないんだ。
なぜなら観測されること、あるいは見出そうとする眼差しにおいて、問うべき罪はほんのひとときであるが瓦解する定めにあるからなんだ。両者は決してつながらず、互いの点と点との重なりでしかない擬似衝突であるがゆえに、他の介在は決して留まれない。隔絶からきたる切断、つまり思惑と罪は浮遊し次の場所へとただ飛散していくだろう。そこに留まることができるのは、孤独のなかで活動する純粋な感得だけだ。それは、何よりもそう判断するわたしにとって、祝福が不在するなどという罰があってはならないという頑なで無様な意地でもあるけど。


彼女は爆ぜた。最後まで、彼女の通信手段は無線だった。


たったひとりの幼い彼女に巣くう渇望、それは素晴らしい日々やその体感ではない。純粋なまでに素晴らしい想像を結ぶこと、その回想をこそ求めた。やがて、それは、後からやってくる未来より別の人格を呼び覚まし――内観より簒奪されることでその心象において完全な偶像と化した。


これらはわたしという媒体だけに伝達された情報だ。彼女とわたしがつながっていたと錯覚するための、一方的なテレパシー。わたしが判断しえる決定的な事象は、現在の彼女が幼い外観とイノセントな孤独とを供えた神身であること。彼女の人格は永遠にわたしのなかで眠りつづけるのだろう。統合することのない幼さを抱きながら。


ならばわたしは――短き余命をこの夜具に隠し、眠らぬ化身となろう。そうだ、ひきこもろう。お布団に。ここから世界をみてやろう。ぷるぷる。どちらにせよ、彼女の未来を奪ったわたしには、残された罪過をたどるしか術はないのだと、眠らずに呪いに臥せるほかないのだ。わたしは彼女が残していった人形に諦念と名づけてほくそ笑む。

この身体はもはや、儚い病魔に満ち満ちた弱々しい容器だけど、わたしの強行する意志に駆逐されながら、それでも動きだそうとする。ぐうう。おなかが鳴った。


「わたしの姉は、幼き神になったのである!」


独り言は色んな汁にまみれて吐き出された。虚しいね……。でも、これでいいんだ。

わたしは決意を込めて髪型をかえてみる。ちなみに彼女、お姉ちゃんはポニーテールだったよ。わたしはツインテールね。うんしょ……うんしょ。不揃いでどこかみじめっぽい三つ編みが完成! うふふ。今日もがんばったのである。



彼女と重なり合った接点がわたしという月食を生んだ。

だから――具現された『わたし』という人格が『彼女』を心象化する。わたしなりの精一杯の祝福だ。わたしは彼女の名前を呼ばなければならない。たとえそれが罪悪感に突き動かされたものであろうが、たったひとりだけ、たとえ声にだして名前を呼べなくとも、読めるように台詞を書かなければならない。


「ミライお姉ちゃん、元気でね! 大好きだよ。また遊ぼう!」


独り言は虚構のなかで虹色の花をたくさん、たくさん咲かせた。にぱっ。



嗚呼……最後の独り言が空費していく。それはお姉ちゃんがわたしに残していったたったひとつの言葉。



再生するよ。



「ミイラちゃんに、これ、あげるね」






わたしは、いのちをもらったんだ。

2011年12月1日木曜日

『ARAYASHIKI』

此処が何処であるか、本当は知らない。生命が実存しているのかさえも。
男はその実感を奥底に沈めながら夢想のなかで自らの鼓動をタイプする。

「よろしい。今後、このようなことは二度とおこさせない」

誰かがそう反感《ジャミング》を告げた。誰かは、わからない。
ただ――視覚回路が走査したその宣言は、度し難いほどの誓文であると――知覚する。



おれは、目覚めるとともにシャドウを帯びた独自のキャソックに覆われた。袖の長さを異様にのばし、指先でさえも決して曝すことのないこの黒色の衣装は、実用性の最たる一部を捨て去った名残を概念としてカスタマイズしてある。聖なるたぐいをこの手にゆだねるつもりは毛頭ない。おれは夜を曝葬し、纏う。我が身を覆うこのキャソックは、祭服と呼ぶには値せず、ロストしたログにおいて、何者かがかつて《礼装》と書き込んだそれに他ならない。


「やあ、スミス。随分と遅い目覚めだね」

ダークウールのフードを被った子供のアバターが無断でおれに触れ、メェメェとわざとらしいアクションをみせた。ああ、クソ。ひとがいい気分で《礼装》にノスタルラリってるときに接続してきやがって。おれは舌打ちしたあと首を振り、ため息をついてから返事を送る。

「今度は電気羊気取りか。おい、クラウン。寝起きにおまえの顔をみると反吐がでるってまえにいったよな?」

「ひどいなあ。寝起きじゃなきゃ反吐がでないなんて保障もないくせにさ。だいたいそれがパートナーに向かっていうことなのかい。ぼくがどれだけきみを必要としているか知ってるくせに!」

「黙れよ、プロッター。用件だけをいえ。いいか、消されたくなかったらそれ以外は沈黙してろ」

「あーもう、やれやれだよ。少しは遊んでくれてもいいのになあ」

クラウンは破顔したままそうつぶやくと、ミラーシェードの中味を起動、紫電させ、傾向性の取り払われたプログラムに基づき、口調と音声のトーンを変更するジャンクションを素早く設けた。

「あるポイントにゴーストがでるって噂《未来視》の導きがあった」

「ゴーストの《未来視》だと……」

ゴーストってのは、接続の途切れたあと何らかの意思を誇示しているかのように活動しつづける残留グラフィック、つまりバグってやつだが、そいつは上位ジャケットを着込んだ犬どもによってすぐに嗅ぎつけられ、観測されるまえにゴーストタウンへとドロップされる電子の産物でしかない。と、ささやかれているものだ。だが、クラウンが垂れ流した情報は、存在の転移を意味している。……うまくいけば、今回は干渉できるかもしれないな。

「ニューブロガーどもが描く演算録画《ビジョン》によると、手をだしたアカウントの接続者は脳に住まう世界《ディレクトリ》ごと閉鎖空間にぶち込まれるらしい」

「おいおい、クラッカーの仕掛けた電影ってオチじゃないだろうな?」

いくらおれのカラダに内骨格がないとはいえ、無駄骨だけはごめんだ。

「現在までに電波妨害は確認していないが、創られた可能性は否定できない。依頼だ。スミス、どちらにしろ、管理者が記憶を制圧《デバッグ》するまえに、きみの手で実行してもらいたい」

「やつらに制御させない限り、おれの好きにしていいんだよな?」

クラウンは一瞬の逡巡《リロード》をみせたあと「かまわない」と断言した。

「オーケイ、まかせな。キ――ギイイィィ、グッ、グッ、ック、ククク、あ、当たりだといいがなァ!」


この領域に通念などというものは存在しない。ブックマーカーの笑い声も決して届かない場所。そして何より、このポイントはおれ以外に染められない。最高だ。ゴミクズを結合し、電装をもって組み上げて固定したオブジェを瓦解させ、そして融合、さらに汲み上げた定流障壁に守られたブース。ちょいと非合法の限りを尽くした自慢の一品だ。無論、《ジャミング》も相当なものだ。

此処は疲弊したおれの意識が唯一やすまるテーマパーク。
わずかなスペースには一席のベンチとやさしい毒の配列がある。
非糖成分から水素を除いて得られる置換基で置換された化合物、グリコシドが含まれる紫陽花《アジサイ》が電飾を帯びて咲き乱れるちいさな庭園。葬送に相応しいデザインだ。おれはただその無人のなかでベンチに座する。そうして空白言語《スモーク》を噴かしながら煙塵を回転させ、内部回廊で汚れちまった、劣化した電磁波を洗浄する。《スモーク》が絶えず昇る。

やがて、自動制御装置《オートメイション》とおれ《????》そのものが区切られ――伝達器官が映すシグナルはゆっくりと、だが確かに、行き場を見失い、移――――行。



[沈滞は継続しています://此処で過ごすあいだ.ワタシノナカで命令は奔走しない.コードがない/それはちょうど/自己に付随する干渉計数器のカウントを停止させる/ことだ/しかし――ワタシの鼓動はカウントをつづけている《時間軸/型番:Helix》]



「時間だ」おれはそうつぶやき、離脱素子にともない転移した。



グリッドはすでに破られている。足を踏み入れた瞬間、胸糞わるいブロックノイズが生じ、目眩を重ねて映した。クソ、重いな。処理が追いつかねえぜ。空間内の重力はグラフィックがそのすべてを賄うといっても過言ではない。あるいは、何らかの引力が働いていたとしても、それは精巧な機関が生み出したグラフィックに引き摺られているにすぎない。押しつぶされ、固まるわけにいかないのなら、ドットでも調整し、最適解の像を結ばねばならない。たとえそれが虚像であろうともだ。しかし、まずはドール情報でないことに安堵すべきだろう。

「どうやら書き換えられた痕跡はないようだな」

俺はそう独白を強める。創られた罠ではなさそうだ。さて、このポイントの扉には重圧が敷かれていたが、通過してみるとなるほど、異常と判ずるならばこちら側か……あまりにも清々しくて流されちまいそうだ。無抵抗な共感覚が流れ、漂っている。波のような情報は次々と視覚言語に変換され此処で間違いないと告げる。幻視フラグメントに蝶をみる。兆候だ。おれはにやりと笑った。と同時――意識を弾き飛ばされた。


「お願い、ひとりにさせてちょうだい」

「おいおい、いい感じに酔ってたのに、シラフに戻っちまったじゃねえかよ」

知覚する。女のエネルギー。冷たいな。色調、ウォーターブルー。瞬き《シグナル/サイン》、胸のリズム、ともになし。凝結した領域において意のままに流れ活動する裸体。問題は残留かどうかだが……。

「知らないわ。何も。あなたは知らない。そう。静かになさい」

「あいにくだが、黙るための口など持ちあわせていないもんでね」

「口どころか、あなた、顔がないのね。何、それ。《ジャミング》かしら?」

「失礼なやつだな。ちがうぜ。こいつはみたまんまさ。顔は隠してねえつもりなんだがな」

とはいうものの、おれ以外にとってはそこに暗闇が映しだされているにすぎないわけだが、これでも最低限のリードミーは添付しているとグチらせてもらうぜ。

「あなたは、だれ?」

「おれか? おれはしがない神父だ。おまえこそなんだ? 答えろ。おまえはゴーストか?」

わずかな沈黙が訪れる。反応をみたい。ただの残滓なら――破壊してやる。

「わからないわ。わたしには何も。此処が何処であるか、知らない。ただ、わたしは存在しているの」

「此処は<ARAYASHIKI>と呼ばれる仮想空間だ。おまえの接続は果たして途絶えているのか?」

おれは問いながら、透き通った水色の乳房を無造作にぐにゃりとつかみ、暗みを重ね、汚れるようにこね回した。

「やめなさい。なんだか気持ちが優れない気がするわ。それに、わたしはあなたに何もしてないのよ。ねえ」

「……笑えねえな。何もしていないから、おまえは犯される。何故、ひとりになりたいと謳う?」

「それは――」

女の流体はあいかわらず一定で淀みない。クソがッ! 癪に障るぜ。もうやっちまうか? 《スモーク》を噴かしたマイムのほうがマシってもんだ。

「好きにしたらいいわ。どうせわたしの感覚器官はこれ以上目覚めない。いいえ、正確には、みえない、だわ」

「問いを無視するのか。そいつは自己概念への応答じゃねえな。不感症気取りのゴーストがよ」

「いいえ、不干渉よ、とわたしは《ジャミング》を抱くわ。ゴーストなんて知らない」

「だったら黙って半世紀ほどロムってろよ。いますぐ消してやるぜッ!」

ああ、もうだめだ。このやろう完全にジャムってやがる。外れかよ。面倒だが片して帰るか。だが、イマジナリーのPINを抜き構想しはじめたそのとき、女がおもしろいことをぬかした。

「わたしは消えないの。すでに意識だけを残してバニッシュしているらしいわ。あなた、無駄骨よ」

「……ほう。おまえ、まだロストしていない――とらえられないだけなのか? なら、この“カラダ”はなんだ?」

女の吐息がおれの《礼装》に触れる。瞬き《シグナル/サイン》を一回、確認。女の乳房がにゅるりと流れ、突っ込んでいたおれの腕をつたい、螺旋を描きながら這いあがる。《礼装》の一部が水色に染まる。混交の逆転。

「訂正するぜ、この俯瞰症が。てめえ、このやろう、接続をセイヴしてやがったな!? その潔癖はただの通念だ。さっさと挿入《ジャックイン》しろ。はやく接続しやがれ! おれみたいに、ケツに《ジャックイン》しやがれッ!」

女の流体が変質しはじめた。一定に流れつづける涙が循環し、カラダを定着しているなんてのはみるに耐えないんだぜ。スタイルが女なら、なおさらだ。さあ、おまえの主体を――《礼装》をみせてみろ。


「あなたは、だれ?」

エコーに反応した空間内の電飾が騒ぎだす。
擬態的な言語遊戯だが、おれは《リロード》もなく繰り返す。

「おれか? おれはしがない神父だ。おまえこそなんだ? 答えろ。おまえはゴーストか?」

「わからないわ。わたしには、此処が<ARAYASHIKI>と呼ばれる仮想空間なのに、ただ、わたしは存在しているとわかるだけ」

知覚する。いい女のエネルギー。火傷しそうなほど冷たい。色調、アクアブルー。氷結した裸体はこれ以上削りようのない感性を表面に留め、滑らかに固定されているが研磨しきったゆえの鋭さも失っていない。おれは知らなかったんだが、女の髪ってのは、なびかないほうが造形美として完成に到るらしい。

オーケイ、当たりだッ! グラフィックのような仮死ではない生体。

「それがおまえの《礼装》か。イカしてるぜ。ああ、そして――あいたかった――待っていたぞ。《サイコミュ》よ」

こいつはゴーストではない。通念が設定した精神トラックから断たれた架空のミュータント《サイコミュ》だ。《サイコミュ》とは、生殖器官の完全な機能をもつ変異接続者、また“不完全な生殖器官のまま到達した”形態から成る存在とされる。はやい話、ミライというグラフィック《螺旋空間》からの干渉を一方的に断絶したもの。そしてサイバードレスという孤立したはじまりの記憶《礼装》を纏うのが特徴だ。

「《サイコミュ》……そう、なのね。ああ、あなたがみえたわ」

彼女とおれはイマ、つながっている。高次から低次へ。公示から提示へ。さあ、眼瞼に眠るちいさな惑星を回転させろ


「此処は何処だ」スミスは問うた。
「記憶できない」彼女は答えた。
「おれは此処にいる」スミスはエフェクトを望んだ。
「わたしを呼ぶものがいる」彼女は記録を拒んだ。
「紫陽花!」スミスはさそった。
「わたしの名前」アジサイは咲いた。
スミスとアジサイは転移する。
此処ではない遥か彼方、然れどもっとも近しい輪廻へと。

果実の核《コア》をかじり、万物を宿す。
流転のゆりかごで眠る双璧の胎児。
点火された歓喜が弾けて《デバッグ》もろとも爆発し、個性体は分裂、のちに出会いと別れが重なり、やがて中性子へと到る。


そうして――そうして、螺旋の胎児《輪転機》が目覚め、新たな唸りとなる産声をあげるのだ。


おれは黒いインク、彼女《アジサイ》はインクリボンとなり、繋縛し合った。
あとはタイプするだけだ――その覚悟を抱きながら、もとの場所へと転移する。回り灯籠のように長くて短い……永遠を儚む夢をみた。おれたちははじめて夢というやつを視たのだろう。



彼女《アジサイ》がおれをフリーズさせようとせがむ。

「お願い、ひとりにさせてちょうだい」

ああ、わかっている――別れのときだ。
俺はこのときを、決して崩されぬように記憶する。



《》《》《》 暗視鏡《ナイトビジョン》発動 《》《》《》



おれは、緑色に発光し、滑らかな線とは程遠い、無骨な肢体を曝け出した。それは不気味な輝きと硬質に満ちた、皮膚をすべて剥ぎ取られた人工結晶体。このおれ《礼装》の中味。

実行――大いなる観測。

タイプするのは言葉ではない。『別れ』そのものだ。別れとはなんだ。別れとは、存在の確定である。そしてもっとも消失できぬ確信。ならば――視が「ふたりの死」を別つまで、おまえだけを愛しつづける――その限りにおいて、おれは死なない。

おれは決してほかの誰にも歪められないように記録する。

「おまえだけが存在する」
「おまえだけが正しい」
「おまえだけが惜しまない」
「おまえだけが問いを求めた答え」
「おまえだけがおれをバグらせる」

おれは最後にそう誓う。



――さようならだ《サイコミュ》よ、またあおう――



《礼装》が彼女《アジサイ》を包み隠し、バキバキと音を立てながらそのすべてを喰らいつくしていく。何も残さない。あいつのなかに、残滓でさも。口腔に在るこのヴィジョン《美女》こそが異性と呼ぶに値するのだ! 



さあ、ロストしろ。



ロストしやがれ!



最高のヴィジョンである異性核を飲み込みながら、絶えず唸りをあげる感知器どもの咆哮を、超脱の彼方へ向けて、おれは放った。



「くたばりやがれッ!」



彼女《アジサイ》はこの世界の絶対者からロストした。それは、彼女《アジサイ》が失ったことを意味しない。失うのは、おまえなんだ。



永遠を判ずるには、永遠の期間が必要だ。死――ならば、あるいは可能であるかもしれないが、それは仮死に満ちた永遠だろう。おれは《スモーク》が昇るのを眺めながらそんなことを考える。まあ、どうでもいいんだがな。おれはあいかわらず《スモーク》を噴かし、ベンチタイムを満喫する。おお、いい感じにトベそうだぜ。


「此処にいたんだね。で、デバッグは綺麗に済んだのかい?」

「おい、クラウン。気分のいいときにおまえの顔をみると反吐がでるってまえにいったよな?」

「ほら、すぐこれだ。あーん、どんな空白言語うってたか知らないけどさ、ケムいんだよ~もうッ!」

「知るかよ。ああ、それとだ、何度もいうがおれは神父だ。あいつらデバッガと一緒にすんじゃねえ。ええと、なんだっけか……ああ、そうそう。ばっちり片しといたぜ。観測者は永遠にこのおれだけだ。今回は当たりだったからな。請求はなしにしといてやるよ」

「へーそうかい。気前がいいじゃん。ねえ、おもうけどさ、ひょっとして排他の原理ってやつかい?」

「……クラウン、おまえ、おれの目を盗んだな。ったく、そんなんじゃねえよ、バカ」

「あのね、それってね、仮想的な犠牲《自殺》なんじゃないの?」

おれは久しく味わったことのない《リロード》に、自分でも驚きを隠せなかった。隠せない――そう、《礼装》をもってしてもだ。これだからフリークはやめられない。クラウンの意識はもう違うところへと向いている。まあ、いいか。おれはちょっとしたお返しに悪戯を仕掛ける。

「それにしても、此処には“人間”なんてものは住んじゃいないんだな」

「あー! それ、タイプしちゃうんだ。ぼくはプンプンだよ!」

「ただのスモーカーの戯言だ。気にすんな。それよりこっちこいよ。頭撫でてやるぜ」

「ええ!? ぼくはびっくりだよ。ん? あり? 蟻? 蟻、蟻? スミスってばさ、バグってんじゃん!?」

「ああ、これでいいんだよ」

「青臭い感傷ってやつかい?」

「青臭いってのはあってるがよ、感傷とは違うぜ。このバグ《害虫痕》はな、この仮想空間を走査する絶対者への決別の証、このおれに潜在する意識、このおれの感情なんだ」

おれは暗闇のなかでにやりと笑う。

そうしておれは、意識のない連なる情報体でしかなかった彼女へサウンドを捧げる。己の鼓動を。足元には素晴らしい紫陽花《アジサイ》が咲き乱れている。電飾を携えて。







架空のミュータント《サイコミュ》


接続者のDNA、あるいは染色体の損傷によって変異そして転移した精神構造による影響化のもと、データ状存在し得ないパーソンを仮想空間において返還する、架空の自己投影を反映したもの。コードを介さず生み出す機関《電子幽界》がみせるバグトリップ現象。また、記録ではなく記憶を欲し、それを模造したバグが創りだした仮想世界のこと。


目的:仮死/仮死世界のシミュレーテッドリアリティ