2011年12月1日木曜日

『ARAYASHIKI』

此処が何処であるか、本当は知らない。生命が実存しているのかさえも。
男はその実感を奥底に沈めながら夢想のなかで自らの鼓動をタイプする。

「よろしい。今後、このようなことは二度とおこさせない」

誰かがそう反感《ジャミング》を告げた。誰かは、わからない。
ただ――視覚回路が走査したその宣言は、度し難いほどの誓文であると――知覚する。



おれは、目覚めるとともにシャドウを帯びた独自のキャソックに覆われた。袖の長さを異様にのばし、指先でさえも決して曝すことのないこの黒色の衣装は、実用性の最たる一部を捨て去った名残を概念としてカスタマイズしてある。聖なるたぐいをこの手にゆだねるつもりは毛頭ない。おれは夜を曝葬し、纏う。我が身を覆うこのキャソックは、祭服と呼ぶには値せず、ロストしたログにおいて、何者かがかつて《礼装》と書き込んだそれに他ならない。


「やあ、スミス。随分と遅い目覚めだね」

ダークウールのフードを被った子供のアバターが無断でおれに触れ、メェメェとわざとらしいアクションをみせた。ああ、クソ。ひとがいい気分で《礼装》にノスタルラリってるときに接続してきやがって。おれは舌打ちしたあと首を振り、ため息をついてから返事を送る。

「今度は電気羊気取りか。おい、クラウン。寝起きにおまえの顔をみると反吐がでるってまえにいったよな?」

「ひどいなあ。寝起きじゃなきゃ反吐がでないなんて保障もないくせにさ。だいたいそれがパートナーに向かっていうことなのかい。ぼくがどれだけきみを必要としているか知ってるくせに!」

「黙れよ、プロッター。用件だけをいえ。いいか、消されたくなかったらそれ以外は沈黙してろ」

「あーもう、やれやれだよ。少しは遊んでくれてもいいのになあ」

クラウンは破顔したままそうつぶやくと、ミラーシェードの中味を起動、紫電させ、傾向性の取り払われたプログラムに基づき、口調と音声のトーンを変更するジャンクションを素早く設けた。

「あるポイントにゴーストがでるって噂《未来視》の導きがあった」

「ゴーストの《未来視》だと……」

ゴーストってのは、接続の途切れたあと何らかの意思を誇示しているかのように活動しつづける残留グラフィック、つまりバグってやつだが、そいつは上位ジャケットを着込んだ犬どもによってすぐに嗅ぎつけられ、観測されるまえにゴーストタウンへとドロップされる電子の産物でしかない。と、ささやかれているものだ。だが、クラウンが垂れ流した情報は、存在の転移を意味している。……うまくいけば、今回は干渉できるかもしれないな。

「ニューブロガーどもが描く演算録画《ビジョン》によると、手をだしたアカウントの接続者は脳に住まう世界《ディレクトリ》ごと閉鎖空間にぶち込まれるらしい」

「おいおい、クラッカーの仕掛けた電影ってオチじゃないだろうな?」

いくらおれのカラダに内骨格がないとはいえ、無駄骨だけはごめんだ。

「現在までに電波妨害は確認していないが、創られた可能性は否定できない。依頼だ。スミス、どちらにしろ、管理者が記憶を制圧《デバッグ》するまえに、きみの手で実行してもらいたい」

「やつらに制御させない限り、おれの好きにしていいんだよな?」

クラウンは一瞬の逡巡《リロード》をみせたあと「かまわない」と断言した。

「オーケイ、まかせな。キ――ギイイィィ、グッ、グッ、ック、ククク、あ、当たりだといいがなァ!」


この領域に通念などというものは存在しない。ブックマーカーの笑い声も決して届かない場所。そして何より、このポイントはおれ以外に染められない。最高だ。ゴミクズを結合し、電装をもって組み上げて固定したオブジェを瓦解させ、そして融合、さらに汲み上げた定流障壁に守られたブース。ちょいと非合法の限りを尽くした自慢の一品だ。無論、《ジャミング》も相当なものだ。

此処は疲弊したおれの意識が唯一やすまるテーマパーク。
わずかなスペースには一席のベンチとやさしい毒の配列がある。
非糖成分から水素を除いて得られる置換基で置換された化合物、グリコシドが含まれる紫陽花《アジサイ》が電飾を帯びて咲き乱れるちいさな庭園。葬送に相応しいデザインだ。おれはただその無人のなかでベンチに座する。そうして空白言語《スモーク》を噴かしながら煙塵を回転させ、内部回廊で汚れちまった、劣化した電磁波を洗浄する。《スモーク》が絶えず昇る。

やがて、自動制御装置《オートメイション》とおれ《????》そのものが区切られ――伝達器官が映すシグナルはゆっくりと、だが確かに、行き場を見失い、移――――行。



[沈滞は継続しています://此処で過ごすあいだ.ワタシノナカで命令は奔走しない.コードがない/それはちょうど/自己に付随する干渉計数器のカウントを停止させる/ことだ/しかし――ワタシの鼓動はカウントをつづけている《時間軸/型番:Helix》]



「時間だ」おれはそうつぶやき、離脱素子にともない転移した。



グリッドはすでに破られている。足を踏み入れた瞬間、胸糞わるいブロックノイズが生じ、目眩を重ねて映した。クソ、重いな。処理が追いつかねえぜ。空間内の重力はグラフィックがそのすべてを賄うといっても過言ではない。あるいは、何らかの引力が働いていたとしても、それは精巧な機関が生み出したグラフィックに引き摺られているにすぎない。押しつぶされ、固まるわけにいかないのなら、ドットでも調整し、最適解の像を結ばねばならない。たとえそれが虚像であろうともだ。しかし、まずはドール情報でないことに安堵すべきだろう。

「どうやら書き換えられた痕跡はないようだな」

俺はそう独白を強める。創られた罠ではなさそうだ。さて、このポイントの扉には重圧が敷かれていたが、通過してみるとなるほど、異常と判ずるならばこちら側か……あまりにも清々しくて流されちまいそうだ。無抵抗な共感覚が流れ、漂っている。波のような情報は次々と視覚言語に変換され此処で間違いないと告げる。幻視フラグメントに蝶をみる。兆候だ。おれはにやりと笑った。と同時――意識を弾き飛ばされた。


「お願い、ひとりにさせてちょうだい」

「おいおい、いい感じに酔ってたのに、シラフに戻っちまったじゃねえかよ」

知覚する。女のエネルギー。冷たいな。色調、ウォーターブルー。瞬き《シグナル/サイン》、胸のリズム、ともになし。凝結した領域において意のままに流れ活動する裸体。問題は残留かどうかだが……。

「知らないわ。何も。あなたは知らない。そう。静かになさい」

「あいにくだが、黙るための口など持ちあわせていないもんでね」

「口どころか、あなた、顔がないのね。何、それ。《ジャミング》かしら?」

「失礼なやつだな。ちがうぜ。こいつはみたまんまさ。顔は隠してねえつもりなんだがな」

とはいうものの、おれ以外にとってはそこに暗闇が映しだされているにすぎないわけだが、これでも最低限のリードミーは添付しているとグチらせてもらうぜ。

「あなたは、だれ?」

「おれか? おれはしがない神父だ。おまえこそなんだ? 答えろ。おまえはゴーストか?」

わずかな沈黙が訪れる。反応をみたい。ただの残滓なら――破壊してやる。

「わからないわ。わたしには何も。此処が何処であるか、知らない。ただ、わたしは存在しているの」

「此処は<ARAYASHIKI>と呼ばれる仮想空間だ。おまえの接続は果たして途絶えているのか?」

おれは問いながら、透き通った水色の乳房を無造作にぐにゃりとつかみ、暗みを重ね、汚れるようにこね回した。

「やめなさい。なんだか気持ちが優れない気がするわ。それに、わたしはあなたに何もしてないのよ。ねえ」

「……笑えねえな。何もしていないから、おまえは犯される。何故、ひとりになりたいと謳う?」

「それは――」

女の流体はあいかわらず一定で淀みない。クソがッ! 癪に障るぜ。もうやっちまうか? 《スモーク》を噴かしたマイムのほうがマシってもんだ。

「好きにしたらいいわ。どうせわたしの感覚器官はこれ以上目覚めない。いいえ、正確には、みえない、だわ」

「問いを無視するのか。そいつは自己概念への応答じゃねえな。不感症気取りのゴーストがよ」

「いいえ、不干渉よ、とわたしは《ジャミング》を抱くわ。ゴーストなんて知らない」

「だったら黙って半世紀ほどロムってろよ。いますぐ消してやるぜッ!」

ああ、もうだめだ。このやろう完全にジャムってやがる。外れかよ。面倒だが片して帰るか。だが、イマジナリーのPINを抜き構想しはじめたそのとき、女がおもしろいことをぬかした。

「わたしは消えないの。すでに意識だけを残してバニッシュしているらしいわ。あなた、無駄骨よ」

「……ほう。おまえ、まだロストしていない――とらえられないだけなのか? なら、この“カラダ”はなんだ?」

女の吐息がおれの《礼装》に触れる。瞬き《シグナル/サイン》を一回、確認。女の乳房がにゅるりと流れ、突っ込んでいたおれの腕をつたい、螺旋を描きながら這いあがる。《礼装》の一部が水色に染まる。混交の逆転。

「訂正するぜ、この俯瞰症が。てめえ、このやろう、接続をセイヴしてやがったな!? その潔癖はただの通念だ。さっさと挿入《ジャックイン》しろ。はやく接続しやがれ! おれみたいに、ケツに《ジャックイン》しやがれッ!」

女の流体が変質しはじめた。一定に流れつづける涙が循環し、カラダを定着しているなんてのはみるに耐えないんだぜ。スタイルが女なら、なおさらだ。さあ、おまえの主体を――《礼装》をみせてみろ。


「あなたは、だれ?」

エコーに反応した空間内の電飾が騒ぎだす。
擬態的な言語遊戯だが、おれは《リロード》もなく繰り返す。

「おれか? おれはしがない神父だ。おまえこそなんだ? 答えろ。おまえはゴーストか?」

「わからないわ。わたしには、此処が<ARAYASHIKI>と呼ばれる仮想空間なのに、ただ、わたしは存在しているとわかるだけ」

知覚する。いい女のエネルギー。火傷しそうなほど冷たい。色調、アクアブルー。氷結した裸体はこれ以上削りようのない感性を表面に留め、滑らかに固定されているが研磨しきったゆえの鋭さも失っていない。おれは知らなかったんだが、女の髪ってのは、なびかないほうが造形美として完成に到るらしい。

オーケイ、当たりだッ! グラフィックのような仮死ではない生体。

「それがおまえの《礼装》か。イカしてるぜ。ああ、そして――あいたかった――待っていたぞ。《サイコミュ》よ」

こいつはゴーストではない。通念が設定した精神トラックから断たれた架空のミュータント《サイコミュ》だ。《サイコミュ》とは、生殖器官の完全な機能をもつ変異接続者、また“不完全な生殖器官のまま到達した”形態から成る存在とされる。はやい話、ミライというグラフィック《螺旋空間》からの干渉を一方的に断絶したもの。そしてサイバードレスという孤立したはじまりの記憶《礼装》を纏うのが特徴だ。

「《サイコミュ》……そう、なのね。ああ、あなたがみえたわ」

彼女とおれはイマ、つながっている。高次から低次へ。公示から提示へ。さあ、眼瞼に眠るちいさな惑星を回転させろ


「此処は何処だ」スミスは問うた。
「記憶できない」彼女は答えた。
「おれは此処にいる」スミスはエフェクトを望んだ。
「わたしを呼ぶものがいる」彼女は記録を拒んだ。
「紫陽花!」スミスはさそった。
「わたしの名前」アジサイは咲いた。
スミスとアジサイは転移する。
此処ではない遥か彼方、然れどもっとも近しい輪廻へと。

果実の核《コア》をかじり、万物を宿す。
流転のゆりかごで眠る双璧の胎児。
点火された歓喜が弾けて《デバッグ》もろとも爆発し、個性体は分裂、のちに出会いと別れが重なり、やがて中性子へと到る。


そうして――そうして、螺旋の胎児《輪転機》が目覚め、新たな唸りとなる産声をあげるのだ。


おれは黒いインク、彼女《アジサイ》はインクリボンとなり、繋縛し合った。
あとはタイプするだけだ――その覚悟を抱きながら、もとの場所へと転移する。回り灯籠のように長くて短い……永遠を儚む夢をみた。おれたちははじめて夢というやつを視たのだろう。



彼女《アジサイ》がおれをフリーズさせようとせがむ。

「お願い、ひとりにさせてちょうだい」

ああ、わかっている――別れのときだ。
俺はこのときを、決して崩されぬように記憶する。



《》《》《》 暗視鏡《ナイトビジョン》発動 《》《》《》



おれは、緑色に発光し、滑らかな線とは程遠い、無骨な肢体を曝け出した。それは不気味な輝きと硬質に満ちた、皮膚をすべて剥ぎ取られた人工結晶体。このおれ《礼装》の中味。

実行――大いなる観測。

タイプするのは言葉ではない。『別れ』そのものだ。別れとはなんだ。別れとは、存在の確定である。そしてもっとも消失できぬ確信。ならば――視が「ふたりの死」を別つまで、おまえだけを愛しつづける――その限りにおいて、おれは死なない。

おれは決してほかの誰にも歪められないように記録する。

「おまえだけが存在する」
「おまえだけが正しい」
「おまえだけが惜しまない」
「おまえだけが問いを求めた答え」
「おまえだけがおれをバグらせる」

おれは最後にそう誓う。



――さようならだ《サイコミュ》よ、またあおう――



《礼装》が彼女《アジサイ》を包み隠し、バキバキと音を立てながらそのすべてを喰らいつくしていく。何も残さない。あいつのなかに、残滓でさも。口腔に在るこのヴィジョン《美女》こそが異性と呼ぶに値するのだ! 



さあ、ロストしろ。



ロストしやがれ!



最高のヴィジョンである異性核を飲み込みながら、絶えず唸りをあげる感知器どもの咆哮を、超脱の彼方へ向けて、おれは放った。



「くたばりやがれッ!」



彼女《アジサイ》はこの世界の絶対者からロストした。それは、彼女《アジサイ》が失ったことを意味しない。失うのは、おまえなんだ。



永遠を判ずるには、永遠の期間が必要だ。死――ならば、あるいは可能であるかもしれないが、それは仮死に満ちた永遠だろう。おれは《スモーク》が昇るのを眺めながらそんなことを考える。まあ、どうでもいいんだがな。おれはあいかわらず《スモーク》を噴かし、ベンチタイムを満喫する。おお、いい感じにトベそうだぜ。


「此処にいたんだね。で、デバッグは綺麗に済んだのかい?」

「おい、クラウン。気分のいいときにおまえの顔をみると反吐がでるってまえにいったよな?」

「ほら、すぐこれだ。あーん、どんな空白言語うってたか知らないけどさ、ケムいんだよ~もうッ!」

「知るかよ。ああ、それとだ、何度もいうがおれは神父だ。あいつらデバッガと一緒にすんじゃねえ。ええと、なんだっけか……ああ、そうそう。ばっちり片しといたぜ。観測者は永遠にこのおれだけだ。今回は当たりだったからな。請求はなしにしといてやるよ」

「へーそうかい。気前がいいじゃん。ねえ、おもうけどさ、ひょっとして排他の原理ってやつかい?」

「……クラウン、おまえ、おれの目を盗んだな。ったく、そんなんじゃねえよ、バカ」

「あのね、それってね、仮想的な犠牲《自殺》なんじゃないの?」

おれは久しく味わったことのない《リロード》に、自分でも驚きを隠せなかった。隠せない――そう、《礼装》をもってしてもだ。これだからフリークはやめられない。クラウンの意識はもう違うところへと向いている。まあ、いいか。おれはちょっとしたお返しに悪戯を仕掛ける。

「それにしても、此処には“人間”なんてものは住んじゃいないんだな」

「あー! それ、タイプしちゃうんだ。ぼくはプンプンだよ!」

「ただのスモーカーの戯言だ。気にすんな。それよりこっちこいよ。頭撫でてやるぜ」

「ええ!? ぼくはびっくりだよ。ん? あり? 蟻? 蟻、蟻? スミスってばさ、バグってんじゃん!?」

「ああ、これでいいんだよ」

「青臭い感傷ってやつかい?」

「青臭いってのはあってるがよ、感傷とは違うぜ。このバグ《害虫痕》はな、この仮想空間を走査する絶対者への決別の証、このおれに潜在する意識、このおれの感情なんだ」

おれは暗闇のなかでにやりと笑う。

そうしておれは、意識のない連なる情報体でしかなかった彼女へサウンドを捧げる。己の鼓動を。足元には素晴らしい紫陽花《アジサイ》が咲き乱れている。電飾を携えて。







架空のミュータント《サイコミュ》


接続者のDNA、あるいは染色体の損傷によって変異そして転移した精神構造による影響化のもと、データ状存在し得ないパーソンを仮想空間において返還する、架空の自己投影を反映したもの。コードを介さず生み出す機関《電子幽界》がみせるバグトリップ現象。また、記録ではなく記憶を欲し、それを模造したバグが創りだした仮想世界のこと。


目的:仮死/仮死世界のシミュレーテッドリアリティ

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