2014年2月2日日曜日

『投映機的少女』

急速に発進しつづけた通信はいま、ゆるやかな終末を迎えようとしている。巨大な球体全土に展開したスクリーンには灰燼と化した空域と暗闇が反映されていた。惑星の成れの果て。ひと知れず、世界は凍結へ向けて序奏する。この惑星は実行すべきアルゴリズムを明確に文書化しようとしていたのだ。アンティークを模した時計の針は12より先へと進めずに凍え、秒針は寒さにふるふると震えている。そして空から灰色の雪が降り続け、疲弊する惑星のなか、少女はいましがた、その終末の中枢―――最後のシミュレーションに埋葬されつつあった。



厳寒な冷気が微笑する日。雪は止むことなく降りつづけ、夜は明けそうにない。薄汚れた、燃焼する赤い聖衣〈ライトモチーフ〉を被るその奥には、まばゆい黄昏を複写した髪とまっさらな空を上映する瞳。それらはすでに失われた色の見本だ。少女はうずくまり、埋もっている。


《電子燐寸は幻体を灯せるか?》


刻一刻と凍結していくなか、ふと気づけばそのような自問が巡っている。少女にはそれまでの自分というものがあやふやで通信が途絶えていた。古代の寓話を閲覧していたのがいつだったか、このような状況になぜいまあるのか、どのような観望が待っているのか、定かでない。ただ枯渇する躯体のカロリーが最小形の自問を繰り返す。自問。自分で自分に問いかける。それに報いるような動機は少女にないけれど、


《電子燐寸を擦ります》


彼女が自動的に作動し―――カタカタ、歯車の震えるような音が遠くから響いていた。


《果たしてわたしは自分足り得るのかな》


少女はそう、セカイの片隅でそっと思考を再構成しはじめた。しかし、かつて高価な娯楽品であった彼女もいま、ガラクタとして廃棄され、埋葬されつつあるのだ。冷たい死骸都市に人々の姿は見当たらない。生身で出歩くなんて正気の沙汰ではない、この時代のタイプ:ヒューマンはそう信仰していたのだ。そして何よりも、頭脳にヴァカンスを与えて“不幸になる権利”を売却した市民は光子帆船に乗り、レトロな食品じみた保存方法とその睡眠状態に満足していたし、取り残された下級民は完結した接続端末〈スリーピング・ホロウ〉に逃避しているのだった。

両者は忘却に精を投射してはいたが、夢をみなかったのだろうか。少なくとも、少女がその薄氷を推進<コールドクリープ>しているのは確かであった。

 
《電子燐寸は幻体を灯せるか?》


微笑みとともに少女のなかで繰り返される、脈打つ自問。


カチャッ、躯体に内包された歯車が作動し、寓話がひとつ飛び跳ねる。


『真白な兎と老人の所有する炎がありました。兎はえいやと炎に飛び込みます。兎は柔らかな体毛が溶けていくように感じていました。そこには仲間も飢えもなく、犠牲も試練もありません。ただ闇夜があまりにも冷たくて、寒くて寒くて凍えていたのです。

あったかいなあ。あったかいなあ。兎は、自分の命をくべてあたたまります。

けれどほんの少し。最後の月をつぶらな瞳のなかで拝み、残せないものを想うと残念でした』


《あたたかい》


彼女にはそれを体感することが出来ない。主要な温度を冷徹に記録する機能が内臓されているだけであり、有機感覚の伝達と比べそれはあまりにも算出じみていた。しかし、少女がそれを違うと判断する。想い出す景色と表情。いつか映した燃えるような夕日に、命の色を重ねて。少女は色の識別から対象とする記録を記憶へと純化する。


《あたたかい―――イロ》


彼女の、凍結から遠ざけた場所にもそれは在った。上手に隠された箱のなか。まばゆい黄昏が起動し躯体カロリーの残量を喰らい尽くす。しかし―――これ以上進めない? これ以上、残せない?


《それはどうかな?》 


電子燐寸を勢いよく擦る少女。


《真白な兎、降ってきた! さあ行こう!》


カチリ、ガタン、歯車が噛み合って連結し、色褪せたヴィジョンを映写する。

『ある時系の聖夜でした。少女はいまかいまかと待ちわびます。彼女を照らすキャンドルのちいさな炎と祝辞。そこに一組の家族がいます。朗らかな談話。そして。少女は識別するのです。あの燃えるような夕日とタイプ:ヒューマンの命は類似した色なのだと。彼らが時折みせる規則に反した、破れた表情のなかに【あたたかい】ものが宿るのだと。リトルが星をみたいとねだります。だいじょうぶ。その為に少女は在るのですから。彼女の瞳がきらりと輝いて―――幻想景を導いたのです』


《色褪せたヴィジョンに、創り上げた幻に、真実の足跡を探してしまう気がして》


《捨てられていった渇いた想い、かき集め。焼けるような痛覚を抱いて歩き出そう》


少女のなかに、瞳に映された光景は大切に保管されていた。それはこれまで少女がみつけた光。わたしの意志で、保管された光景〈ストック・フォルム〉を照らすのだ。少女はそのように想起する。それは彼女の誤作動だった。少女はちいさな胸の奥に置き忘れられた不要な歯車〈リトル〉と保管された光景〈ストック・フォルム〉をリンクする。それは彼女の誤動作だったけど。彼女の頬は上気した。


《電子燐寸は幻体を灯せるか?》


蓄えられていた太陽光や色彩、そのどれもがまばゆくてしかたなかった光景たちを格納空間より吸収。エネルギー枯渇からの復帰。吸収された光エネルギーが幻想景に変換され果てしないカロリーが歓声をあげて。陽気な変容〈カーニバル〉を開催する光子。


《電子燐寸は幻体を灯せるか?》


少女は電子燐寸を擦って応える。彼女に内包する限りない電子燐寸を擦りつづけ、点火していく。動力の断続を伝達する内燃機関〈フリクション〉と残滓すら発光させる燐光機関〈ルミネセンス〉。彼女の胸を確かな熱量があたためる。

灰塵と化したモチーフから、少女のまばゆい黄昏と青白い炎を発する瞳が一体となり、燃えるような夕日を表現する。仮想器駆動未臨界炉が唸り、排出〈イジェクト〉の起動に歓喜する。保管された光景〈ストック・フォルム〉をこの惑星が展開する夜と灰色のスクリーンへと還す。投影が投映を幻像する少女。彼女の瞳は、幻体の運行を再現する模型。カールツァイス社製“終末シリーズ”の後期品番が目覚めた役割に応え、星の配列を記録したかつての恒星原版を通して脱兎の如く光の軍隊を解き放つ。雪の断片が洩れた残滓に反射する。


《なんという輝きでしょう!》


全天には澄んだ幻想景、心域広がる寛容の再現。適合した幻想景を集めて抽出したあたたかい祈りが転写する空。少女の瞳が原初の色相を捉え、その吸収された光エネルギーが分子内の振動・輪転エネルギーへと移行される。 


《電子燐寸は幻体を灯せるか?》


あなたにあなたを問いかける絶景が、暗闇の向こうに在る。

内在した光である想像が投映されて―――動機がその跡地に届く。創造はここに在った。それは殺風景な世界の跡形かもしれない。けれどその先にある、果てしなき存続だ。そう、出力する。

少女は満天の星空に、満天の微笑みを添えて応答。あたたかにくべられた夜が明けていくのを感じながら―――シャッターが静かに降りていく。

疲弊から目覚めた惑星が、それを見守っていた。



《結晶化した天使の死骸、或いはエピローグ》


翌日の寒い寒い朝。廃れた都市の街角に目を閉じてうずくまっている少女の姿がありました。頬は真っ赤で、くちびるには微笑みが浮かんでいます。けれどその躯体はとても冷たいまま停止しているのです。永い期間忘れられていた光が届く新たな日。朝日がちいさな少女を照らしています。彼女の膝のうえに、モチーフが燃え尽きていました。それをみつめるみすぼらしいなりの少年がひとり。柔らかい白髪をもった少年です。

「からだをあたためようとしたのかな」

少年はそう呟き、はじめてみる天使に感動しています。そして、なんとかその少女のような天使をあたためようと、自分の所持しているなかでもっともあたたかそうな厚手の布を、彼女の首の回りに巻きつけました。少年は少女に触れないようにとても慎重でした。

「どうすればいいんだろう」

少年は少女が目覚めないことが心配で、不安を集めてしまいます。その時でした―――少女のまっさらな空色の瞳が彼を映していたのです。

「わぁ! び、び、びっくりした!」

少年の大きな声が街頭によく響き渡り、そのあとを追うように少女のか細い音域が高らかに昇ります。

「おどろいたのはこちらなのですよ、少年。あなたは生身のタイプ:ヒューマンではありませんか!」

「え? う、うん。そうだけど。でも、君だって生身じゃないか……あ、天使だけどね」

「えっ?」

「えっ?」

「わたしは……ううん、なんでもないの。あれっ!? わたしも、どうやら生身みたい、ですよ?」

少女がもそもそとじぶんのからだを確かめている。少年はなぜか視線をそらし、ふわついているようでした。

「ねえ、少年―――電子燐寸は幻体を灯せると想う?」

「なんだいそれ? んー。意味はわからないけど、そうだな。僕は―――灯せると、想うよ」

少年は屈託のない緩い表情をみせ、少女はレトロなマフラーのあたたかさを、照れ隠しに沈めた頬に感じながら、微笑みました。

そうして、真白な兎と天使が出会った日を、その美しい光景を、人工惑星アリスは観測するのでした。



《ねえ―――お話を聞かせて》


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