二月も佳境に入り冬景色っと。うん。本日は某北の国からを想わせるほど雪降る一日なのである。特になんのルートも発生せずおうちに直行すると玄関のまえで高さ二メートルはある雪だるまを目下制作中の母上とエンカウントした……あんたはなにをやっているんだ!?
人間は寒いとどうも幻覚をみてしまうらしい。俺はすかさず「逃げる」のコマンドを選択し、早々に炬燵へ避難するため平然と歩を進める。が、母上のきゃぴ声に足を止めるのであった。
「あらあらっ、お帰りなさい~旭。真昼ちゃんきてるわよん?」
「……ただいま。また真昼ちゃんきてるのか。居間?」
「そうなのよ~ん。お母さん、これからが山場だ~か~ら~、旭がちゃーんとあいてしてあげてねん?」
山場ってまだやるかおい。せっせと続きに没頭する母上は、丸めた雪のボールをふたつ、巨像の胸部とおもわれる部分に細工を施してそいつを結合させようとしているもよう。……ふう。なにもなかった。俺は、なにもみてなどいない。健全な自己暗示を済ませ、れっつ我が家へ。がちゃり。ばったん。
「よっしゃああああおっぱい完成いやっほおおおおう♪」
いやあ、困った幻聴ですねえほんとあははは。さてさて、んなことより真昼ちゃんなのだった。
真昼ちゃんは、数ヶ月前にうちの隣に引っ越してきた月見さんとこのお嬢さんである。活発で好奇心旺盛でおてんばなとてもかわいらしい幼女……だったらいいのだが、少々あれというか、まあその幼獣というか、よくわからん生物だな。うん。
時すでに遅いかもしれんが、俺は足音を殺して居間へと向かう。そろりそろり。ん、妙に静かだな? 居間への侵入、成功。目標――確認! 真昼ちゃんの触覚(ツインテール)が炬燵からぴょっこりでてた。とりあえず罠かもしれんので数分ほど観察してみた。動きなし。目標は沈黙。これより接近戦に入る! 息を止めて近づき、そっとつかんだ炬燵布団をナメクジの如き緩慢な動作で持ち上げていく。おや? おやおや。ふっふっふ、ふがみっつ。あっら~真昼ちゃんてば~寝てるや~~~ん。獣といえど、寝てるときはなんと無防備でおとなしいのでしょうか。目標はやわこそうなほっぺたを上気させよだれを垂らしている。よーし、よし。このまま寝かせておこうじゃないか。
俺は極力音をたてずお茶をのみながら炬燵でのんびりと平和に安堵しているのであった。束の間の休戦気分を味わっていると階段からとたとたと誰かが降りてくる音。なんだ今宵ってばいるんじゃん。
「あ、お兄ちゃんだ。真昼ちゃん、ずっと帰ってくるの待ってたんだよ?」
「あーうん。みたいだね。ちなみにやつなら俺のよこ(側)で寝てるんだぜ?」
「うわぁ! なんか静かだとおもったら……こうしてると天使みたいだねお兄ちゃん!」
「そうだな、俺の妹の今宵。図書委員で眼鏡な今宵。いまだに一日一回は転んでしまう今宵。
やっぱ寝癖ついてんのな今宵。でもな今宵。そんなに胸だけたわわに育てても兄は喜ばんとですよ今宵。あ、今宵リードマンとお呼びしても構いませんかね?」
ごん。
今宵が手に持っていた読みかけの本『魍魎の匣』で俺を殴った。うへへ。
「もう! 今年こそお兄ちゃんにもあげよっかなあっておもってたのにしらないもん!」
なにかごにょごにょ今宵が言ってるがあたまの鈍痛が邪魔して☆がみえるのであった。は!? まさか今宵、おまえ……兄としてはそんな胸もらってもぶらんぶらんさせるだけだぞやめとけ。
思考が安全運転をしはじめて――心なしかほっぺを膨らました妹の、その後ろに立っている存在に気づく。やばい……や、やつが目覚めてらっしゃる! やつは今、寝ぼけまなこでよだれを垂らしたまま、振り子のようにゆっくりと左右に揺れている。俺は唇をはわはわさせる。声は、でない。
「ん? どうしたのお兄ちゃん。後ろ? あっ、真昼ちゃん。おはよう、だよ」
今宵が目標に近づき、垂れたよだれをふきふきする。
「はぁい、綺麗になりましたよー真昼ちゃん。えへへー」
にへら顔してる場合じゃないよ今宵! 学習能力がないのかおまえは!? 真昼ちゃんの振り子のような揺れが∞を描く軌道へと変化する。あ、ああああ! 離れ、ろ。今直ぐ!
「すぐ、楽にしてやる」
真昼ちゃんがそう、小さくつぶやいた。
シュッシュ。小刻みに空気を削ぐ音が聞こえる。な、なんだ!? 真昼ちゃんが今宵の回りを高速で移動している。
「あっ、うっ、あっ、あっ!」
今宵が目を細め、苦痛と快楽の音色を嘔吐。
「あっ、やっ、やめっ、やめてまひっ、んっ、真昼っ、ちゃん!」
あれは……おそろしいことに真昼ちゃんは、今宵のたわわなおっぱいを執拗に狙い、鋭角なフリッカージャブを高速で放ち、サンドバックしているのだ!
「フフフフ……フハハハハ……ハァーッハッハッハッハ!」
真昼ちゃん上機嫌である。
「ほりほり~どうなのわさ、どうなのわさ?」
真昼ちゃんが回転数を上げて純真無垢な表情でシュッシュッとジャブを量産している。このままだと非常に危険だ。一刻も早く止めなくてはいけない。その時、連撃が一瞬ぴたりと止まり膨大な殺気をみせる。
「ボディが、がらあきだぜなのよさ!」
なんとか条件反射でおなかを守ろうと今宵。だがしかし! 手遅れとしりながら俺は叫ぶ。
「罠だ今宵ッ! 腕をさげるんじゃない!」
「遊びは終わりだ! 泣け!叫べ!そして―――」
奥義?が発動し、今宵のたわわな果実をもぎとらんばかりにひっぱる真昼ちゃん。
「いったーーーいやーめーてーとれないからーとーれーなーいーかーらー(泣)」
さすがにそこで真昼ちゃんをひっぺがした。ごめん今宵……不出来な兄でごめんな。でもな、ついこのあいだまで俺の股間がサンドバックにされていたのを、隠れてのぞいてたの、お兄ちゃんしってるから。なんであの時、今宵は、恍惚の表情だったのかな? 逆向き打撃の馬乗りバルカン……兄はおもいだすと、生まれたての小鹿のように足をガクガクさせるのですよ?
「あさひ、あさひ。まひる、まだまだやれたのよさ?」
なんでとめたのって瞳をうるうるさせながら上目遣いで俺をみつめる真昼ちゃん。
「うん。真昼ちゃんがつおいのしってるお。でも加減を覚えないとな? あと、おんなのこを傷つけたら、めーなんよ? 俺はね、真昼ちゃんにはそんな子になってほしくないなあ」
「めー、なのか? あさひがそういうなら、考慮するわさ」
めずらしく素直なのであたまを撫でてみる。手を噛まれました。ううっ。なんなのよもう。
「でもな、まひるな、左腕がうずいてな、封印がとけそうでなあ」
うん、真昼ちゃん発症はやいよーはやいってば。あー世界の半分を隠さないといけないとか時折いってるのはあれかあ。今度、眼帯を試しに渡してみようかしらね。などと考えていると、唐突に真昼ちゃんが、かがんでほしいとねだってきた。はてなんだろう。
彼女のちいさな手が俺のあたまにぽふんとのってきた。なでなで。
「あさひ、よしよしする。あさひ、いつも、あそんでくれて、ありがとうなの」
脈絡がないなあ。真昼ちゃん。でも、うれしいよ真昼ちゃん。ちいさなこにあたまを撫でられて、些細なことに感謝してくれて、俺はね、なんだかとてもうれしいよ。恥ずかしくて正直に伝えれない、駄目なやつだけどさ。
「へへー、ありがたいこってす真昼さま~。インターネットの波に溺れたときはこの旭が浮き輪となりやしょう」
「うむ。いんたぁーねっつ、我の手にはあまるでな」
真昼ちゃんはおうちのなかでひとり、インターネットばかりしているそうだ。俺はそのインターネット畑の、些細なつかまえ役になれるだろうか。
「あさひ、あさひ。こり。どうぞ」
真昼ちゃんがポッケからなにかを取り出し、ぺこりと上手にお辞儀してから俺に手渡した。
拳をあけてみると、チ○ルチョコが一個。
「あさひのこと、ちょこっと好きなのよさ」
真昼ちゃんのフィニッシュブローが俺のガードをぶち破る。
「俺も、真昼ちゃんのこと、ちょこっと大好きだからね。ありがとう」
もぐもぐ。うん。真昼ちゃん。どろっどろに溶けてるし、つぶれてるねこれ。でもおいしいや。
「あー、あー! たべちゃた!? 後生だいじにだいじにしてほしかったのにー! むっきー!」
「ええええ!? あ、や、やめ……ひいいいいいいいい」
真昼ちゃんのあんよが俺の顎先を打ち上げるジェノサイドカッター(改)が炸裂。
その滞空時間が、俺をより強固にするだろう。たぶん。
「月をみるたび思い出せ!」
真昼ちゃんの決め台詞が響き渡る。
ああ、母上。俺は今日、生まれてはじめてバレンタインデーにチョコをもらいました。あはは。
2014年2月15日土曜日
2014年2月2日日曜日
『投映機的少女』
急速に発進しつづけた通信はいま、ゆるやかな終末を迎えようとしている。巨大な球体全土に展開したスクリーンには灰燼と化した空域と暗闇が反映されていた。惑星の成れの果て。ひと知れず、世界は凍結へ向けて序奏する。この惑星は実行すべきアルゴリズムを明確に文書化しようとしていたのだ。アンティークを模した時計の針は12より先へと進めずに凍え、秒針は寒さにふるふると震えている。そして空から灰色の雪が降り続け、疲弊する惑星のなか、少女はいましがた、その終末の中枢―――最後のシミュレーションに埋葬されつつあった。
厳寒な冷気が微笑する日。雪は止むことなく降りつづけ、夜は明けそうにない。薄汚れた、燃焼する赤い聖衣〈ライトモチーフ〉を被るその奥には、まばゆい黄昏を複写した髪とまっさらな空を上映する瞳。それらはすでに失われた色の見本だ。少女はうずくまり、埋もっている。
《電子燐寸は幻体を灯せるか?》
刻一刻と凍結していくなか、ふと気づけばそのような自問が巡っている。少女にはそれまでの自分というものがあやふやで通信が途絶えていた。古代の寓話を閲覧していたのがいつだったか、このような状況になぜいまあるのか、どのような観望が待っているのか、定かでない。ただ枯渇する躯体のカロリーが最小形の自問を繰り返す。自問。自分で自分に問いかける。それに報いるような動機は少女にないけれど、
《電子燐寸を擦ります》
彼女が自動的に作動し―――カタカタ、歯車の震えるような音が遠くから響いていた。
《果たしてわたしは自分足り得るのかな》
少女はそう、セカイの片隅でそっと思考を再構成しはじめた。しかし、かつて高価な娯楽品であった彼女もいま、ガラクタとして廃棄され、埋葬されつつあるのだ。冷たい死骸都市に人々の姿は見当たらない。生身で出歩くなんて正気の沙汰ではない、この時代のタイプ:ヒューマンはそう信仰していたのだ。そして何よりも、頭脳にヴァカンスを与えて“不幸になる権利”を売却した市民は光子帆船に乗り、レトロな食品じみた保存方法とその睡眠状態に満足していたし、取り残された下級民は完結した接続端末〈スリーピング・ホロウ〉に逃避しているのだった。
両者は忘却に精を投射してはいたが、夢をみなかったのだろうか。少なくとも、少女がその薄氷を推進<コールドクリープ>しているのは確かであった。
《電子燐寸は幻体を灯せるか?》
微笑みとともに少女のなかで繰り返される、脈打つ自問。
カチャッ、躯体に内包された歯車が作動し、寓話がひとつ飛び跳ねる。
『真白な兎と老人の所有する炎がありました。兎はえいやと炎に飛び込みます。兎は柔らかな体毛が溶けていくように感じていました。そこには仲間も飢えもなく、犠牲も試練もありません。ただ闇夜があまりにも冷たくて、寒くて寒くて凍えていたのです。
あったかいなあ。あったかいなあ。兎は、自分の命をくべてあたたまります。
けれどほんの少し。最後の月をつぶらな瞳のなかで拝み、残せないものを想うと残念でした』
《あたたかい》
彼女にはそれを体感することが出来ない。主要な温度を冷徹に記録する機能が内臓されているだけであり、有機感覚の伝達と比べそれはあまりにも算出じみていた。しかし、少女がそれを違うと判断する。想い出す景色と表情。いつか映した燃えるような夕日に、命の色を重ねて。少女は色の識別から対象とする記録を記憶へと純化する。
《あたたかい―――イロ》
彼女の、凍結から遠ざけた場所にもそれは在った。上手に隠された箱のなか。まばゆい黄昏が起動し躯体カロリーの残量を喰らい尽くす。しかし―――これ以上進めない? これ以上、残せない?
《それはどうかな?》
電子燐寸を勢いよく擦る少女。
《真白な兎、降ってきた! さあ行こう!》
カチリ、ガタン、歯車が噛み合って連結し、色褪せたヴィジョンを映写する。
『ある時系の聖夜でした。少女はいまかいまかと待ちわびます。彼女を照らすキャンドルのちいさな炎と祝辞。そこに一組の家族がいます。朗らかな談話。そして。少女は識別するのです。あの燃えるような夕日とタイプ:ヒューマンの命は類似した色なのだと。彼らが時折みせる規則に反した、破れた表情のなかに【あたたかい】ものが宿るのだと。リトルが星をみたいとねだります。だいじょうぶ。その為に少女は在るのですから。彼女の瞳がきらりと輝いて―――幻想景を導いたのです』
《色褪せたヴィジョンに、創り上げた幻に、真実の足跡を探してしまう気がして》
《捨てられていった渇いた想い、かき集め。焼けるような痛覚を抱いて歩き出そう》
少女のなかに、瞳に映された光景は大切に保管されていた。それはこれまで少女がみつけた光。わたしの意志で、保管された光景〈ストック・フォルム〉を照らすのだ。少女はそのように想起する。それは彼女の誤作動だった。少女はちいさな胸の奥に置き忘れられた不要な歯車〈リトル〉と保管された光景〈ストック・フォルム〉をリンクする。それは彼女の誤動作だったけど。彼女の頬は上気した。
《電子燐寸は幻体を灯せるか?》
蓄えられていた太陽光や色彩、そのどれもがまばゆくてしかたなかった光景たちを格納空間より吸収。エネルギー枯渇からの復帰。吸収された光エネルギーが幻想景に変換され果てしないカロリーが歓声をあげて。陽気な変容〈カーニバル〉を開催する光子。
《電子燐寸は幻体を灯せるか?》
少女は電子燐寸を擦って応える。彼女に内包する限りない電子燐寸を擦りつづけ、点火していく。動力の断続を伝達する内燃機関〈フリクション〉と残滓すら発光させる燐光機関〈ルミネセンス〉。彼女の胸を確かな熱量があたためる。
灰塵と化したモチーフから、少女のまばゆい黄昏と青白い炎を発する瞳が一体となり、燃えるような夕日を表現する。仮想器駆動未臨界炉が唸り、排出〈イジェクト〉の起動に歓喜する。保管された光景〈ストック・フォルム〉をこの惑星が展開する夜と灰色のスクリーンへと還す。投影が投映を幻像する少女。彼女の瞳は、幻体の運行を再現する模型。カールツァイス社製“終末シリーズ”の後期品番が目覚めた役割に応え、星の配列を記録したかつての恒星原版を通して脱兎の如く光の軍隊を解き放つ。雪の断片が洩れた残滓に反射する。
《なんという輝きでしょう!》
全天には澄んだ幻想景、心域広がる寛容の再現。適合した幻想景を集めて抽出したあたたかい祈りが転写する空。少女の瞳が原初の色相を捉え、その吸収された光エネルギーが分子内の振動・輪転エネルギーへと移行される。
《電子燐寸は幻体を灯せるか?》
あなたにあなたを問いかける絶景が、暗闇の向こうに在る。
内在した光である想像が投映されて―――動機がその跡地に届く。創造はここに在った。それは殺風景な世界の跡形かもしれない。けれどその先にある、果てしなき存続だ。そう、出力する。
少女は満天の星空に、満天の微笑みを添えて応答。あたたかにくべられた夜が明けていくのを感じながら―――シャッターが静かに降りていく。
疲弊から目覚めた惑星が、それを見守っていた。
《結晶化した天使の死骸、或いはエピローグ》
翌日の寒い寒い朝。廃れた都市の街角に目を閉じてうずくまっている少女の姿がありました。頬は真っ赤で、くちびるには微笑みが浮かんでいます。けれどその躯体はとても冷たいまま停止しているのです。永い期間忘れられていた光が届く新たな日。朝日がちいさな少女を照らしています。彼女の膝のうえに、モチーフが燃え尽きていました。それをみつめるみすぼらしいなりの少年がひとり。柔らかい白髪をもった少年です。
「からだをあたためようとしたのかな」
少年はそう呟き、はじめてみる天使に感動しています。そして、なんとかその少女のような天使をあたためようと、自分の所持しているなかでもっともあたたかそうな厚手の布を、彼女の首の回りに巻きつけました。少年は少女に触れないようにとても慎重でした。
「どうすればいいんだろう」
少年は少女が目覚めないことが心配で、不安を集めてしまいます。その時でした―――少女のまっさらな空色の瞳が彼を映していたのです。
「わぁ! び、び、びっくりした!」
少年の大きな声が街頭によく響き渡り、そのあとを追うように少女のか細い音域が高らかに昇ります。
「おどろいたのはこちらなのですよ、少年。あなたは生身のタイプ:ヒューマンではありませんか!」
「え? う、うん。そうだけど。でも、君だって生身じゃないか……あ、天使だけどね」
「えっ?」
「えっ?」
「わたしは……ううん、なんでもないの。あれっ!? わたしも、どうやら生身みたい、ですよ?」
少女がもそもそとじぶんのからだを確かめている。少年はなぜか視線をそらし、ふわついているようでした。
「ねえ、少年―――電子燐寸は幻体を灯せると想う?」
「なんだいそれ? んー。意味はわからないけど、そうだな。僕は―――灯せると、想うよ」
少年は屈託のない緩い表情をみせ、少女はレトロなマフラーのあたたかさを、照れ隠しに沈めた頬に感じながら、微笑みました。
そうして、真白な兎と天使が出会った日を、その美しい光景を、人工惑星アリスは観測するのでした。
《ねえ―――お話を聞かせて》
厳寒な冷気が微笑する日。雪は止むことなく降りつづけ、夜は明けそうにない。薄汚れた、燃焼する赤い聖衣〈ライトモチーフ〉を被るその奥には、まばゆい黄昏を複写した髪とまっさらな空を上映する瞳。それらはすでに失われた色の見本だ。少女はうずくまり、埋もっている。
《電子燐寸は幻体を灯せるか?》
刻一刻と凍結していくなか、ふと気づけばそのような自問が巡っている。少女にはそれまでの自分というものがあやふやで通信が途絶えていた。古代の寓話を閲覧していたのがいつだったか、このような状況になぜいまあるのか、どのような観望が待っているのか、定かでない。ただ枯渇する躯体のカロリーが最小形の自問を繰り返す。自問。自分で自分に問いかける。それに報いるような動機は少女にないけれど、
《電子燐寸を擦ります》
彼女が自動的に作動し―――カタカタ、歯車の震えるような音が遠くから響いていた。
《果たしてわたしは自分足り得るのかな》
少女はそう、セカイの片隅でそっと思考を再構成しはじめた。しかし、かつて高価な娯楽品であった彼女もいま、ガラクタとして廃棄され、埋葬されつつあるのだ。冷たい死骸都市に人々の姿は見当たらない。生身で出歩くなんて正気の沙汰ではない、この時代のタイプ:ヒューマンはそう信仰していたのだ。そして何よりも、頭脳にヴァカンスを与えて“不幸になる権利”を売却した市民は光子帆船に乗り、レトロな食品じみた保存方法とその睡眠状態に満足していたし、取り残された下級民は完結した接続端末〈スリーピング・ホロウ〉に逃避しているのだった。
両者は忘却に精を投射してはいたが、夢をみなかったのだろうか。少なくとも、少女がその薄氷を推進<コールドクリープ>しているのは確かであった。
《電子燐寸は幻体を灯せるか?》
微笑みとともに少女のなかで繰り返される、脈打つ自問。
カチャッ、躯体に内包された歯車が作動し、寓話がひとつ飛び跳ねる。
『真白な兎と老人の所有する炎がありました。兎はえいやと炎に飛び込みます。兎は柔らかな体毛が溶けていくように感じていました。そこには仲間も飢えもなく、犠牲も試練もありません。ただ闇夜があまりにも冷たくて、寒くて寒くて凍えていたのです。
あったかいなあ。あったかいなあ。兎は、自分の命をくべてあたたまります。
けれどほんの少し。最後の月をつぶらな瞳のなかで拝み、残せないものを想うと残念でした』
《あたたかい》
彼女にはそれを体感することが出来ない。主要な温度を冷徹に記録する機能が内臓されているだけであり、有機感覚の伝達と比べそれはあまりにも算出じみていた。しかし、少女がそれを違うと判断する。想い出す景色と表情。いつか映した燃えるような夕日に、命の色を重ねて。少女は色の識別から対象とする記録を記憶へと純化する。
《あたたかい―――イロ》
彼女の、凍結から遠ざけた場所にもそれは在った。上手に隠された箱のなか。まばゆい黄昏が起動し躯体カロリーの残量を喰らい尽くす。しかし―――これ以上進めない? これ以上、残せない?
《それはどうかな?》
電子燐寸を勢いよく擦る少女。
《真白な兎、降ってきた! さあ行こう!》
カチリ、ガタン、歯車が噛み合って連結し、色褪せたヴィジョンを映写する。
『ある時系の聖夜でした。少女はいまかいまかと待ちわびます。彼女を照らすキャンドルのちいさな炎と祝辞。そこに一組の家族がいます。朗らかな談話。そして。少女は識別するのです。あの燃えるような夕日とタイプ:ヒューマンの命は類似した色なのだと。彼らが時折みせる規則に反した、破れた表情のなかに【あたたかい】ものが宿るのだと。リトルが星をみたいとねだります。だいじょうぶ。その為に少女は在るのですから。彼女の瞳がきらりと輝いて―――幻想景を導いたのです』
《色褪せたヴィジョンに、創り上げた幻に、真実の足跡を探してしまう気がして》
《捨てられていった渇いた想い、かき集め。焼けるような痛覚を抱いて歩き出そう》
少女のなかに、瞳に映された光景は大切に保管されていた。それはこれまで少女がみつけた光。わたしの意志で、保管された光景〈ストック・フォルム〉を照らすのだ。少女はそのように想起する。それは彼女の誤作動だった。少女はちいさな胸の奥に置き忘れられた不要な歯車〈リトル〉と保管された光景〈ストック・フォルム〉をリンクする。それは彼女の誤動作だったけど。彼女の頬は上気した。
《電子燐寸は幻体を灯せるか?》
蓄えられていた太陽光や色彩、そのどれもがまばゆくてしかたなかった光景たちを格納空間より吸収。エネルギー枯渇からの復帰。吸収された光エネルギーが幻想景に変換され果てしないカロリーが歓声をあげて。陽気な変容〈カーニバル〉を開催する光子。
《電子燐寸は幻体を灯せるか?》
少女は電子燐寸を擦って応える。彼女に内包する限りない電子燐寸を擦りつづけ、点火していく。動力の断続を伝達する内燃機関〈フリクション〉と残滓すら発光させる燐光機関〈ルミネセンス〉。彼女の胸を確かな熱量があたためる。
灰塵と化したモチーフから、少女のまばゆい黄昏と青白い炎を発する瞳が一体となり、燃えるような夕日を表現する。仮想器駆動未臨界炉が唸り、排出〈イジェクト〉の起動に歓喜する。保管された光景〈ストック・フォルム〉をこの惑星が展開する夜と灰色のスクリーンへと還す。投影が投映を幻像する少女。彼女の瞳は、幻体の運行を再現する模型。カールツァイス社製“終末シリーズ”の後期品番が目覚めた役割に応え、星の配列を記録したかつての恒星原版を通して脱兎の如く光の軍隊を解き放つ。雪の断片が洩れた残滓に反射する。
《なんという輝きでしょう!》
全天には澄んだ幻想景、心域広がる寛容の再現。適合した幻想景を集めて抽出したあたたかい祈りが転写する空。少女の瞳が原初の色相を捉え、その吸収された光エネルギーが分子内の振動・輪転エネルギーへと移行される。
《電子燐寸は幻体を灯せるか?》
あなたにあなたを問いかける絶景が、暗闇の向こうに在る。
内在した光である想像が投映されて―――動機がその跡地に届く。創造はここに在った。それは殺風景な世界の跡形かもしれない。けれどその先にある、果てしなき存続だ。そう、出力する。
少女は満天の星空に、満天の微笑みを添えて応答。あたたかにくべられた夜が明けていくのを感じながら―――シャッターが静かに降りていく。
疲弊から目覚めた惑星が、それを見守っていた。
《結晶化した天使の死骸、或いはエピローグ》
翌日の寒い寒い朝。廃れた都市の街角に目を閉じてうずくまっている少女の姿がありました。頬は真っ赤で、くちびるには微笑みが浮かんでいます。けれどその躯体はとても冷たいまま停止しているのです。永い期間忘れられていた光が届く新たな日。朝日がちいさな少女を照らしています。彼女の膝のうえに、モチーフが燃え尽きていました。それをみつめるみすぼらしいなりの少年がひとり。柔らかい白髪をもった少年です。
「からだをあたためようとしたのかな」
少年はそう呟き、はじめてみる天使に感動しています。そして、なんとかその少女のような天使をあたためようと、自分の所持しているなかでもっともあたたかそうな厚手の布を、彼女の首の回りに巻きつけました。少年は少女に触れないようにとても慎重でした。
「どうすればいいんだろう」
少年は少女が目覚めないことが心配で、不安を集めてしまいます。その時でした―――少女のまっさらな空色の瞳が彼を映していたのです。
「わぁ! び、び、びっくりした!」
少年の大きな声が街頭によく響き渡り、そのあとを追うように少女のか細い音域が高らかに昇ります。
「おどろいたのはこちらなのですよ、少年。あなたは生身のタイプ:ヒューマンではありませんか!」
「え? う、うん。そうだけど。でも、君だって生身じゃないか……あ、天使だけどね」
「えっ?」
「えっ?」
「わたしは……ううん、なんでもないの。あれっ!? わたしも、どうやら生身みたい、ですよ?」
少女がもそもそとじぶんのからだを確かめている。少年はなぜか視線をそらし、ふわついているようでした。
「ねえ、少年―――電子燐寸は幻体を灯せると想う?」
「なんだいそれ? んー。意味はわからないけど、そうだな。僕は―――灯せると、想うよ」
少年は屈託のない緩い表情をみせ、少女はレトロなマフラーのあたたかさを、照れ隠しに沈めた頬に感じながら、微笑みました。
そうして、真白な兎と天使が出会った日を、その美しい光景を、人工惑星アリスは観測するのでした。
《ねえ―――お話を聞かせて》
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